岩倉具視のMBTI性格タイプを考察
岩倉具視がINTJ(建築家)の理由
長期的な戦略的思考Ni主機能)
岩倉具視は常に長期的な視点で政治状況を分析し、未来を見据えた行動を取っていました。5年間の隠棲期間中も表立った活動は少なかったものの、裏で坂本龍馬や大久保利通らと連絡を取り合い、倒幕のための工作を進めていました。戊辰戦争では事前に錦の御旗を用意するなど、将来の戦いを見越した準備を怠らず、複雑な政治情勢の中で自らのビジョンを実現するための戦略を練り続けました。
効率的な計画実行力Te補助機能)
岩倉は理論的で効率的な方法で目標を達成する能力に優れていました。小御所会議では山内容堂の失言を機に一気に主導権を握り、王政復古の大号令を成功させました。また、明治維新後は岩倉使節団を組織して欧米諸国を視察し、日本の近代化に必要な知識と制度を体系的に学びました。征韓論論争では感情的な主張を抑え、合理的な判断で国家の方針を決定するなど、目的達成のための効率的な手段を常に模索していました。
独立した分析的思考Ti三次機能)
岩倉は独自の論理体系に基づいて物事を判断し、周囲の意見に流されない強さを持っていました。隠棲時代には一般的な公家の生活様式から離れ、屋敷を賭場にして収入を得るなど、伝統的な価値観に縛られない現実的な対応を見せました。憲法制定においても、日本の国情に合ったプロイセン型の憲法を主張するなど、独自の分析に基づいた政治的判断を下すことができました。
現実的な状況適応力Se劣等機能)
岩倉は理想を追求しつつも、現実的な状況判断を重視していました。隠棲中に命を狙われる危険に直面した際も、実際的な手段で身を守りながら政治工作を続けました。戊辰戦争では錦の御旗という具体的なシンボルを効果的に活用し、幕府側の戦意を喪失させるという現実的な成果を上げました。また、明治6年の政変後も襲撃から生き延び、政治的生命を維持するなど、危険な状況でも現実的な対応で切り抜ける能力を示しました。
岩倉具視の名セリフ・名シーンからMBTI分析
「表立って動かずとも、裏で糸を引くことができる」
岩倉具視は公武合体を推進したことで攘夷派から命を狙われ、5年間も岩倉村に隠棲することを余儀なくされました。この期間、表立った活動はほとんど見られなかったものの、坂本龍馬や大久保利通ら志士たちと密かに連絡を取り合い、朝廷工作を続けていました。この行動はINTJの典型的な特性である「長期的視点に立った戦略的忍耐」を示しています。表舞台に出ることを敢えて避けながらも、将来のビジョン実現のために裏方として準備を進める姿勢は、直観的思考Ni)と論理的計画性Te)を組み合わせたINTJならではのアプローチです。
「時は来た。今こそ王政復古を断行すべきである」
小御所会議において、岩倉は当初山内容堂に押され気味でしたが、容堂の失言を巧みに利用して一気に主導権を握り、王政復古の大号令を成功させました。このシーンはINTJの「状況分析力と機会把握能力」の高さを如実に表しています。岩倉は感情的になることなく冷静に状況を観察し、相手の弱点を見極め、最適なタイミングで決定的な一手を打ちました。これはINTJが持つ「未来を見通す直観Ni)」と「効率的な目標達成思考Te)」が完璧に機能した例であり、複雑な政治状況の中でもビジョンを実現するための戦略的思考が発揮されています。
「官軍であることの証が必要だ。錦の御旗を用意せよ」
戊辰戦争において、岩倉は事前に錦の御旗を用意し、新政府軍が官軍であることを示すことで幕府側の戦意を喪失させることに成功しました。この行動はINTJの「先見の明と体系的準備」の特性をよく表しています。戦いが始まる前からその帰結を見据え、心理的優位性を確保するための具体的な手段を準備していたのです。これは未来の可能性を直感的に読み取りNi)、それを実現するための効率的なシステムを構築するTe)INTJの思考パターンの典型です。感情的な決断ではなく、論理的に計算された戦略によって最大の効果を上げる手法は、まさにINTJらしい政治的手腕と言えます。
岩倉具視(INTJ)の関係性をMBTI分析
大久保利通(ENTJ)との関係: INTJとENTJの相性を考察
岩倉具視と大久保利通は明治維新の中心人物として緊密な協力関係を築いた。特に岩倉使節団では岩倉が正使、大久保が副使として欧米を視察し、近代国家建設の青写真を共同で作成した。帰国後は征韓論争で西郷隆盛と対立する大久保を岩倉が支持し、明治政府の主導権を確立。両者は共に現実主義的な合理思考を持ち、長期的な国家ビジョンを共有していた。大久保の果断な実行力と岩倉の緻密な戦略立案が補完し合い、官僚機構の整備や殖産興業政策を推進した。特に廃藩置県の実現においては、岩倉の宮中工作と大久保の政治的手腕が見事に融合した。
大久保利通のMBTI分析
大久保利通(ENTJ)の性格を詳しく見る
三条実美(ISFJ)との関係: INTJとISFJの相性を考察
岩倉具視と三条実美は朝廷内での立場を異にしながらも、明治新政府において重要な役割を果たした。岩倉が王政復古のクーデターを主導した際、三条は公家側のリーダーとして協力し、新政府の太政官制度では三条が右大臣、岩倉が参議として並び立った。岩倉使節団出発時には、三条が留守政府を預かることになり、両者は政府運営の責任を分担した。しかし征韓論争では三条が西郷隆盛ら征韓派に同調したため対立が生じ、岩倉帰国後は政治的に距離が生まれた。三条の温和で調和を重んじる性格と、岩倉の戦略的で時に強硬な姿勢は時に衝突したが、近代国家建設という大局では協力関係を維持した。
三条実美のMBTI分析
三条実美(ISFJ)の性格を詳しく見る
西郷隆盛(ISFJ)との関係: INTJとISFJの相性を考察
岩倉具視と西郷隆盛は倒幕運動では薩長同盟の実現に向けて協力関係にあったが、明治政府樹立後は次第に対立を深めた。1867年の王政復古のクーデターでは、岩倉が宮中での工作を担当し、西郷が薩摩藩兵を動員して軍事面を担当するなど役割分担が明確だった。しかし明治6年の征韓論争が決定的な転機となり、欧米視察から帰国した岩倉は大久保利通とともに征韓論に反対し、西郷ら征韓派と激しく対立した。この結果、西郷は政府を去り、後の西南戦争へとつながっていく。岩倉の合理的で計画的な政治スタイルと、西郷の情義を重んじる人間中心の考え方の違いが顕著に表れた対立であった。
西郷隆盛のMBTI分析
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